北の房前

なんともウチの空気が重苦しく、こっちは何か変なプレッシャーかけられてるもんで
もぅ、逆にやる気なくなる 的な・・・。本当年末のせいかなんか知らんけど、すげえピリピリしている。
こうやって奴の心の内をいつも聞き役になるはめに。モ、ヤダ
世間と離脱しているようなこんな家庭に温かな 日差しなんてやってくるのでしょうか
俺も、昨日 一昨日 さぼっちまったしな〜〜 一日7Pの予定を優雅に裏切る毎日。
しかも レベル高え イディオム的なこととか英語多いもんで 血が噴き出したようにテキストは真赤に。すーがく とか勿、覚えてねえし つーか うるせえええええ なんであんな風に歪みを生む原因をよくも意図的か空気が読めんか知らんが作れるよな。やめて欲しい 切実に、な。
あぁああ 日本史やるかな

皇極天皇の645年、中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を暗殺する。皇極天皇の都飛鳥板葺宮でクーデターがおこる。孝徳天皇が即位したころ、皇太子は中大兄皇子、内臣は中臣鎌足。難波長柄豊碕宮を都とし、改新の詔がだされる。公地公民制になり、食封の支給をする。
その後斉明天皇が即位する。660年に百済が滅亡し、阿倍比羅夫が蝦夷を攻撃。663年には白村江の戦がおこる。日本は負けてしまい、皇子は近江大津宮に都を移し、天智天皇になる。最初の戸籍、庚午年籍を作成。
天智天皇の死後、大友皇子と大海人皇子の間で壬申の乱がおこる。大海人皇子が勝利し、天武天皇となる皇族で要職を固める皇親政治をする。これを体現したものが八色の姓。最高位の真人のみに与えられる。
帝紀と旧辞の再編纂が行われた。持統天皇が皇后のときに飛鳥浄御原令が施行され、翌年には庚寅年籍が作られた。日本最初の本格的な都城である藤原京が造営。
白鳳文化は天武・持統朝の頃の時代。中国初頭文化の影響。薬師寺東塔が代表。フェノロサに凍れる音楽と評価された。興福寺仏頭、薬師寺金堂薬師三尊像や法隆寺壁画、高松塚古墳壁画や万葉集、懐風藻などが代表的。
大宝律令と養老律令制定の中心人物(大宝律令=文武天皇・・・総裁刑部親王・中心藤原不比等/養老律令=元正天皇・・・藤原不比等)養老律令は藤原仲麻呂の時に施行。

今回は色付きなしだあ。今年も残すところわずか。年末カウントダウン勉強でもやろうかな。
イベントみたいで楽しい・・・・はず
これから風呂に入って英語をとりあえず終わらせるつもり。頑張る〜〜

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2008-12-29 Mon 23:47 ∧top | under∨
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